

たくさんの小さな子供たち、怖がった孤児たちがゲットーをさまよっていた。彼らの親は仕事のためにダウンタウンに出かけ、ある日帰ってこなかったのだ。ある晩、私のお兄ちゃんアーロンも帰ってこなかった。彼はガールフレンドの家族の引っ越しを手伝い、門限後にダウンタウンに残っていて、銃で撃たれて命を落としたのだ。10日に一度、ママは私たちのパンの配給を取りに行った。パンはほんの少ししかなかった。おばあちゃんはイースターの前夜に亡くなってしまった。老齢と栄養失調のためだった。おばあちゃんは自分の配給をこっそりと小さなトリクにあげていたのだ。トリクは一日中おばあちゃんのベッドで過ごしていた。


1942年8月下旬、10歳以下の子供たちはすべて、ゲットーから助け出されると告知があったわ。トラックがきて、病人やお年寄り、それから働けない人たち(もちろん子供たちも)はみんなその中に押し込まれた。パパは急いでトリクを脇に引っ張り、屋根裏部屋に隠したの。パパはトリクをマットレスの上に寝かせわ。そして、マットレスの上に寝ても、立っても、座ってもいいけれど、絶対にそこから降りてはいけないと厳しく言い聞かせた。
夜になると、ママとパパはトリクにわずかなパンと水を持っていって、おしっこ用のバケツを取り出した。こんな風にほとんど動けない状態で、わたしの小さな弟は丸々一ヶ月を過ごさなくちゃいけなかったの。それからやっと、トリクは下に降りてくることを許された。パパがね、トリクはもう10歳で、工場で一緒に働けるというニセモノの書類を手に入れてくれたから。それは配給用の食べ物カードが、もう一枚手に入ることでもあったわ。
1944年8月、ゲットーは閉鎖された。生き残っていた人たちは、強制収容所であるアウシュビッツ・ビルケナウに連れていかれたの。死ぬために。

