はい

行きなさいとおばあちゃんは言った。おばあちゃんは落ち着いていて、娘がめそめそと泣 くのを止めたわ。おばあちゃんはママにこう言ったの。私はもう十分人生を生きました。 残りはほとんどないのよ。子供はいつか親元を離れなくてはいけないの。そして自分自身 の人生を歩き始める。だからもう泣くのはやめて、生きるのですよ。

私がその旅のことで覚えていることはほとんどない。ただ怖かったことだけ覚えてる。イ タリアの国境で電車が止まって、税関職員が上着にお金を縫い付けていた男の人を殴った 時。それからあの女の人のこと。検査を待つ間にイヤリングを取り出して、幼い娘のコー トのポケットに入れた女の人。お金を隠していた男の人の家族も、イヤリングをはずすの が遅かった女の人の親戚も、みんな国境の向こうに置き去りにされて、誰も電車に戻って くることができなかった。あぁ、どうしよう。ベルトの留め金が燃えてアーロンのお腹に 穴が開いちゃうんだじゃないかしら。わたしの靴の留め金だって燃えだしちゃうんじゃな いかしら。わたしたち家族も無事に通過できないんじゃないかしら。そう思って、とって も怖かったの。

おばあちゃんの祈りがわたしたち家族を救ったに違いないわ。だって、無事にジェノアの 港についたし、しかも、海が荒れてなかったんだもの。でも、ママがずっと黙っているこ とが恐ろしかったわ。ママは旅の間、一言もしゃべらなかったの。

ママは電車にいる間もずっと黙っていた。アーロンが嬉しそうに。「みて、これがアフリ カだよ!これがスエズ運河だ!」って言った時でさえ。ママは船が神戸に向かう間も黙っ ていた。多分、乗客の1/3はここで降りたわ。パパは、日本の神戸ユダヤ人協会も安全なん だって説明してくれた。だけど、わたしたちは神戸では降りないの。わたしたちはビザが なくてもいける場所、上海に向かうのだから。

アーロンの話では、上海は中国だから、龍がいて、黄色人種がいて、髪を長く編んだ男の人がいて、家の屋根は赤くてツバメの羽のように曲がっているんだそうよ。でも、実際のところ街はほかの街と同じに見えた。髪の長い男の人はいないし、もちろん もいない。船から降りると、沸騰していない水は飲むな、歯は沸騰した水でしか磨くな、日本兵の前では頭を下げろ、野菜や果物は火を通していないものは食べるな、と忠告されたわ。髪にシラミがいないかチェックされて、なんでかしら歯並びもチェックされて、痛いワクチンを打たれて、それからやっと新しい生活へのバスに並ぶことができた。おばあちゃんのいない新しい生活。ママはまだ黙っていた。

おばあちゃんを置いて出発する?