丘の上の家

これがヨーロッパ。これが

バルト海 。この海にちょっとだけ面しているのが、ここリトアニアという国さ。 ヴィリニュス(リトアニアの首都)がどこの国のものかはっきりしない間、カウナスはこの国の臨時の首都なんだ。でね、ここはカウナスの中のヴァイガンタス通り30番。 白くて真新しい が建っているこれが門だ。レンガ造りの2つの塔に囲まれた門。でもって、これがぼく。この絵の中の主。アキオネコ様だ。門の上に座って、秋の終わりにひなたぼっこしているところ。

ぼくの目は半分閉じられているから、きっとぼくは眠っているって思うだろう? だけど本当は、スズメたちが馬のうんちの塊の近くで、楽しそうにじゃれているのを見ているんだ。この通りは静かで、馬のうんちの山だってそんなにない。おもしろくないのは、この家に引っ越してきた人たちが、自分の馬さえもっていないってことさ。でも、その代わりに2台の車を持っている。運転手つきの仕事用の黒い車、キャデラック。それからK125っていうナンバーをつけた、うるさくて、くさくて、おんぼろの車、ビュイックだ。え?「ネコが文字なんて読めるの?」だなんて聞いているの? もしネコが本物のスパ・・・もしネコが本物の忍者的生き物であるなら、ネコの仕事に必要なことはすべて知っているってわけさ。

いい情報のためなら、ぼくは必要とあれば誰かにナデナデされてやるんだからね。そう、みぃんなぼくをナデナデする。たとえば、月に1回くるロシアの洗濯おばさん。ネコみたいな目をしている感じのいい日本人女性、ユキコ。それからベビーシッターである妹のセツコ。そしてネコに似ているこどもたちの父親、千畝(チウネ)。もっとも、千畝は書類仕事でとっても忙しくって、ほとんど庭にでてこなかったけど。だから、もし千畝のストライプ柄のスーツのズボンにスリスリして、気を引こうと思うなら、地下1階にある仕事部屋にこっそりと忍び込まなくちゃいけないんだよね。

希望の門

後にユダヤ人たちはその門を「希望の門」と呼ぶようになりました。現代ではフェンスはなくなっていますが、門は残っています。そこには「命のビザ。希望の門」と刻まれています。

car birds birds birds

庭で遊んでいる2人の男の子は、大きい方がヒロキ。小さなチアキにボールを投げている。 チアキは歩き始めたばかりだからボールを受け止められないんだ。代わりに、家の角でタバコを吸っていた千畝の秘書、

グッジェがそれを蹴った。グッジェはポーランド人の領事館スタッフと違って、リトアニア語を話せるんだ。 だけどグッジェがぼくをナデナデしようと近寄ってくると、ぼくはあいつのドイツ製のシャツがなんだかくさいって感じちゃう。 とってもあやしい匂いなんだ。

グッジェが蹴ったボールは庭のフェンスにあたる。スズメたちがびっくりして飛び立ち、ぼくの狩りは台無しになっちゃった。ぼくは地面に飛び降りる。しょうがない。行こう。家の周りをみせてあげるよ。 この黒いアーチの建物は石炭庫さ。コウモリとか、野菜室から迷い込んできたネズミとか、ちょちょいっと捕まえられないかなって、いつも中に忍び込むんだけど、ここを掃除するメイドに叱られるんだ。「でていきなさい、アキオ!おばかなネコだね!またカーペットにシミをつけるんだろう」メイドはバケツに石炭を入れて、足を踏みならしながらヒステリーをおこす。だからぼくはまた外へ飛び出すんだ。

日本領事館がある地下1階と、領事一家が暮らす1階。

両方ともドアは内側に開く。 これはネコのためだ。だってドアが内側に開くなら、ドアが開くのを待っている時にうっかりぼくをはさむこともないからね。

house cat gudze boys

地下1階は静かな音で満ちている。千畝の仕事部屋からカタカタというタイプライターの音。時折リンリンリンとなる電話の音。アシスタントの部屋では、2人のポーランド人が静かに議論している。ぼくにも街の名前が聞こえてくる。「ストックホルム・・・フィンランドの日本領事館・・・イギリス領事館のポーランド部門」 うーん、ネコには面白くない。

暗号解読室はそれより面白そうだよね。入るのは禁止されているけど、ぼくはグッジェが来るを待ってこっそり忍び込んだ。グッジェの足元を素早くすりぬけて、床まであるカーテンの下に隠れたんだ。グッジェはというと、ネコのようにそっと歩いて机に近寄ってゆく。机はちょっと散らかっている。そこかしこで電線ケーブルがごちゃごちゃと絡み合っていた。

夜になると、この部屋からはピーピーいう音が聞こえてくるんだ。だから、ぼくはここには鳥がいるにちがいないって疑っていたけど、実際は鳥なんていなかった。ただラジオや電信用ハンドルや、ヘッドホンや、タイプライターみたいなもの、それからたくさんの電線ケーブルだけがあった。あとプラグやくさくて熱い電球も。

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千畝は、リトアニアの新聞社にこう言っていたな。「私はリトアニアと日本の文化の絆を強くするためにこの地にきました。そして、オスラム電球会社の代表でもあります」 だけどさ、電球が売られているなんて、見たことないんだよ。ついでに言うとネクタイもみたことないね。ここにあるのは、ただ絡まった電線ケーブルだけじゃないか。グッジェはというと、文字が書いてある丸いカードをさぐり、急いでなにかを書きつけてジャケットの中にそれを隠した。そして、ほこりっぽいカーテンの下に座っているぼくは、くしゃみがおさえられない。「くしゅしゅしゅん!」

驚いたグッジェは宙に飛び上がり、振り返った。

ネコは鳴くと思う?